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  • 2009年4月18日土曜日

    「台湾の声」【NHK】台湾メディアが「NHKスペシャル」を批判! (付:デモ案内)

    【転送転載歓迎】

    我が国が反日?—台湾メディアが「NHKスペシャル」を批判!


    ブログ「台湾は日本の生命線!」より ↓ブログでは関連写真も
    http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-723.html#comment 

    「親日的とも言われる台湾に、今も残る日本統治の深い傷。それは今後、アジアの中で生きて行く日本が分かち合わなければならない現実です」と強調した「NHKスペシャル/シリーズJAPANデビュー」(第一回「アジアの"一等国"」)の偏向ぶりに対し、全国で怒りの抗議運動が起こっているが、そこに台湾国営の通信社「中央通訊社」(中央社)が「参戦」した。

    「台湾のメディアが参戦した」と教えてくれたのはメールマガジン「台湾の声」の林建良編集長。中国人と同様の歴史観に基づいて「反日台湾」との虚像を作り上げ、日台関係を損なおうとするNHKへの抗議運動を台湾人として呼びかけている人物だ。

    戦後派が主導する台湾メディアの「参戦」と聞き、私は当初NHKに好意的な報道を行ったものと思った。なぜなら戦後派はかつての国民党独裁時代、反日教育を受けているからだ。今回NHKが示した日本の台湾統治に対する歴史観は国民党の反日史観と同じなのだ。

    ましてや現在は国民党政権の時代である。その意向を汲んだ報道もあり得るとも思った。

    ところが、報道を行った台湾人記者は冷静だった。記事は今回のNHK騒動の問題点を的確に把握した上で、淡々と状況を伝えるものだのだ。

    もちろん実際には中央社が、NHK批判の我々の運動に「参戦」したわけではない。ただNHKの偏向報道の前で、真実を追究する立場を示しただけだ。しかし我々から見れば、それが「参戦」と映る。なぜなら現在展開しているのは、NHKの歴史歪曲から歴史の真実を守るため、理性、常識に基づいて声を上げることだからだ。

    NHK偏向報道問題の記事を配信した台湾の中央通訊社。報道は大手紙「中
    国時報」「聯合報」も引用した

    中央社の記事は、台湾の大手紙「中国時報」や「聯合報」も引用して報じた。これらの新聞は中国寄りとして知られているが、やはり台湾人の理性で、この報道は重要だと感じたのだろう。

    以下は記事の日本語訳だ。

    原文:台灣人反日? NHK特別節目遭多方抗議
    http://tw.news.yahoo.com/article/url/d/a/090417/5/1hzbc.html

    ———————————————————————————————————————
    台湾人が反日? NHKスペシャルに多方面から抗議


    (中央社記者楊明珠・東京16日)「日本放送協会(NHK)」は五日、日本の台湾統治時代に関する特別番組を放映したが、その結果、多くの台湾人や日本人から「内容が著しく偏向し、台湾が反日であるとの誤った情報を与えるもの」と抗議されている。番組でインタビューを受けた台湾人ですら、強く怒っている。

    NHKのこの特別番組の名は「シリーズJAPANデビュー」。今年は横浜開港百五十周年に当たることから、主に日本が世界の舞台に登場してから百五十年間の大きな出来事を回顧するというものだ。その第一回のテーマは「アジアの"一等国"」で、日本の最初の殖民地—台湾を報道するものだった。

    番組は、日本は世界の「一等国」となるため、台湾の反抗勢力を鎮圧し、台湾の原住民を博覧会へ連れて行って「展示」することで統治の成功を誇示し、さらには「差別待遇と同化」と言う矛盾を利用して差別を生み、皇民化運動を実施して台湾人の民族性を剥奪したと指摘する。

    今日発売の「週刊新潮」の報道によれば、前総統府顧問の金美齡氏は「『偏向番組』の一語でしか形容できない。日本はいまだに自分を加害者とする自虐史観から抜け出せないでいる」と語っている。

    台湾研究フォーラム会長の永山英樹氏は「この番組は一枚の写真に『人間動物園』との刺激的な表題を付け、それを利用して一九一〇年にロンドンで開かれた日英博覧会で、日本政府が台湾のパイワン族を連れて行って『見世物』として展示したと説明するが、パイワン族は伝統舞踏や模擬戦闘を披露したのであり、それは今日の日本が相撲や伝統舞踊、歌舞伎などを海外で公演するのと同じことだ」と述べる。

    評論家の櫻井よしこ氏は、「番組での『人間動物園』の一語は日本政府が使用した言葉だと誤解させる。番組全体が歴史歪曲報道の連続だと言うことができる」と話す。

    「週刊新潮」は、番組の中で何度も登場する八十七歳の柯�三氏も憤慨していると指摘する。彼は二〇〇五年、東京で「母国は日本、祖国は台湾」と言う本を出している。

    彼は番組の中でのインタビューで、「ようやくエリート学校の「台北第一中学」(現在の建国中学)に合格したが、日本人が多数を占める環境の中で常に差別を受け、偏見を持たれることもあった。たとえば豚の角煮や尻尾を弁当のおかずにするとからかわれた」と語っている。

    番組では彼は反日のように見える。だが彼は「取材を受けたとき、日本の台湾統治は五〇%プラスで五〇%はマイナスと強調した。確かに差別は受けたが、日本は台湾に多くのものを残した。若し日本の教育がなければ、今日の私はない」と語っている。

    また「NHKは取材の際、『もし不都合なことなら話さなくていい』と言うので、不都合なことと言うのは『日本の批判すべきこと』かと思った。しかし隠す必要はないと思っていたら、意外にもNHKは日本を批判する部分だけを取り上げて放映したので驚いた」と話す。

    報道によると、柯徳三氏は「現在、台湾は正に中国に併呑されるかどうかと言う状況だ。台湾では日本統治時代のことを知る七十歳以上の人は日本が応援の手を差し伸べることを期待している。もしNHKの報道で台湾人は反日だと解釈されたら、きっと台日関係に影響する。だから番組の背後には中国の意図があり、台日を離間させようとしているのではないかと疑う」との憂慮を示している。

    日本李登輝友の会事務局長の柚原正敬氏も今日、NHKの報道に対する見方を中央社の記者に語った。それによると同会の小田村四郎会長及び五名の副会長は連名で抗議声明を書き、九日に柚原氏からNHKに手交したが、それへの回答は同会には非常に不満なものだった。

    同会はNHKが番組制作時の参考資料を公開することを望んでいる。また公開討論会の開催し、NHKの番組制作者、取材記者などの関係者に説明をさせることも検討しているところだ。

    「なぜ台湾は親日か」との修士論文を書いたことのある日本人教師は中央社に対し、「あの番組を見た後、NHKに抗議の電話を入れ、昨年の北京五輪以降、報道には親中傾向が目立つと指摘したところ、何と職員から『台湾は中国の一部ではないのか』と言われ、さらに怒りが高まった」と話す。

    東京在住で親台派の日本人女性は、番組の内容について「とんでもない」と語る。そして「日本が台湾人を奴隷にしたと告発しているようだ。このような番組によって、台湾人は実際には反日だと簡単に思わせることができる。自分の親台の心情もこれで撃破されてしまった」と言う。

    ———————————————————————————————————————
    NHKの反日姿勢を批判的に取り上げる外国のマスコミはは中央社が初めてだろうか。これを知れば多くの日本人は喜ぶだろう。「やはり台湾は親日国家だ」と。しかし「親日」だからこのような記事を書いたかどうかはわからない。しかし少なくともはっきり言えるのは、台湾人は理性と常識に基づいて、NHKが行った自虐番組の滑稽さを報じたと言うことだ。

    もちろんそこには、「自国の歴史を歪めるだけでは飽き足らず、台湾の印象まで損なった」「台湾には中国のような嫌らしい反日感情はない」「台湾を反日目的で利用するな」との不満の気持ちも込められていることだろう。

    台湾にまで多大な迷惑をかけたNHK。「日本弱体化」だけでなく「日台離間」をも目指す中国の意向も働いていると、私もそのようにこのテレビ局を疑っている。(終)


    *********************************************

    台湾の取材協力者をも侮辱!
    国民の受信料で作られた反日洗脳番組に抗議を!
    番組制作者の罷免要求を!

    抗議先 福地茂雄会長宛てに、番組制作責任者・濱崎憲一ディレクターの罷免要求を!
    [NHK]視聴者コールセンター 電話:0570−066066
    [NHK] FAX:03−5453−4000
     メール:http://www.nhk.or.jp/special/
    ※福地会長に宛てたファックスは有効だ。

    [放送倫理・番組向上機構(BPO)] 
    電話: 03−5212−7333  
    FAX:03−5212−7330
    メール:https://www.bpo.gr.jp/audience/send/form.html

    [総務省] 電話:03−5253−5776(放送政策課 直通)
    FAX: 03-5253-5779
    メール:https://www.soumu.go.jp/common/opinions.html
    ※鳩山邦夫総務大臣宛に問題提起を。

    *********************************************


    参加を! 本日NHK前で視聴者デモ

    【日時】平成21年4月18日(土) 15:30分

    【場所】渋谷ハチ公横のスクランブル交差点付近 集合
    ハチ公横の交差点付近で1時間程度の周知活動をした後、
    NHK放送センター西口前まで移動し(井の頭通り沿い)、

    http://map.yahoo.co.jp/pl?p=%A3%CE%A3%C8%A3%CB%CA%FC%C1%F7%A5%BB%A5%F3%A5%BF%A1%BC&lat=35.66156306&lon=139.69929389&type=&ei=euc-jp&v=2&sc=3&lnm=%A3%CE%A3%C8%A3%CB%CA%FC%C1%F7%A5%BB%A5%F3%A5%BF%A1%BC&idx=32


    【テーマ】

    シナ(中国)の犬、NHK。偽善者・害悪の危険性について渋谷を通行する国民へ知らせ、反日マスコミと反日カルトによる情報操作に対する免疫力をつけてもらう。特に、NHKによる捏造番組(台湾の件)の批判を行う。公共放送が数字を捏造したことを許してはならない。


    そこでNHKの捏造・誘導問題に特化して抗議活動を行う。
    演説希望者にはマイクを渡しますので、NHKのウソ、捏造、
    誘導に対して大いに抗議して下さい。今回の「カーニバル」で
    人前で声を出すことに慣れて下さい。コツもその場で教えます。
    カーニバルを練習の場としてご活用下さい(笑)

    【主催】 日本を護る市民の会 黒田大輔 
    090−4075−1269

    雨天決行。横断幕、プラカード、抗議文、日章旗、拡声器、
    ビデオカメラ等の持参歓迎。ビデオに写りたく無い方はマスクや
    サングラスをご持参下さい。
    なお後日、犬HKに正式にアポイントを取り、当方からの
    「取材」及び「抗議文の手交」を申し込む予定です。


    『台湾の声』  http://www.emaga.com/info/3407.html


    『日本之声』 http://groups.yahoo.com/group/nihonnokoe (Big5漢文)

    解除するには下記URLにアクセスして下さい。
    http://www.emaga.com/tool/automail.cgi?code=3407&mail=koe3407.emaga228@blogger.com&e=1

    「台湾の声」【協力願い】「NHKスペシャル」の偏向にお怒りの皆様へ(付:全番組文字起こし)

    【転送転載歓迎】

    「NHKスペシャル」の偏向にお怒りの皆様へお願い

    「NHKスペシャル|シリーズJAPANデビュー」の第1回「アジアの"一等国"」(4月5日放映)は日本の台湾統治を徹底批判し、その傍証として台湾の老世代に歴史証言をさせ、日本への恨みの部分だけを強調し、歴史事実を大きく歪めています。

    そこで下に番組の動画と文字起こした全内容を掲載しますので、これらを参考にして「歴史事実に反する部分」「疑問のある部分」等をメールでNHKに指摘や質問をしてほしいのです。

    NHKは番組内容を正当化するため、事細かな説明回答を行ってきます。そうしたら「質問」と「回答」のメールを台湾の声編集部までお送りいただきたいのです。

    なにとぞよろしくお願いいたします。

                             台湾の声編集部

    NHKへのメール送付先 http://www.nhk.or.jp/special/
    台湾の声編集部 taiwannokoe@googlegroups.com

    ———————————————————————————————————————

    【動画】これが偏向NHKスペシャルの全内容

    以下の動画(1〜4)は4月5日に放映された問題の偏向番組「NHKスペシャル|シリーズJAPANデビュー」(第1回アジアの"一等国")の全内容だ。ただしサブリミナル効果が指摘されるオープニングのタイトルバックは収録されていない。
    1 http://www.dailymotion.com/video/x8xz8g_yhkyyyyyy-yyyyjayanyyyyy-y-1y-yyyyy_news
    2 http://www.dailymotion.com/video/x8xzfh_yhkyyyyyy-yyyyjayanyyyyy-y-1y-yyyyy_news
    3 http://www.dailymotion.com/video/x8xzox_yhkyyyyyy-yyyyjayanyyyyy-y-1y-yyyyy_news
    4 http://www.dailymotion.com/video/x8xzsv_yhkyyyyyy-yyyyjayanyyyyy-y-1y-yyyyy_news

    ———————————————————————————————————————

    【文字起こし】これが偏向NHKスペシャルの全内容

    NHK「JAPANデビュー」全内容文字起し
    (ブログ「夕刻の備忘録」より転載)

    【転載歓迎】NHK「JAPANデビュー」全内容文字起し-Part.1
    http://jif.blog65.fc2.com/blog-entry-104.html 
    %%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%
    ★オープニング
    JAPANデビュー
    未来を見通す鍵は歴史の中にある
    世界の連鎖が歴史をつくってきた
    150年前 世界にデビューした日本
    私たちはどう生きた そしてどう生きる

    NHKスペシャル シリーズJAPANデビュー
    第一回 アジアの"一等国"
    %%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%

    ★今の横浜港の風景

    語り・濱中博久:
    ——今から150年前、西暦1859年、ここ横浜の港から、日本は世界の荒海に船出しました。長年の鎖国を解き、自由貿易を開始、西洋列強を目標に、日本は近代化の道を歩み始めます。
    1859年、ジャパン、世界デビュー。
    それから60年後、第一次世界大戦で戦勝国となった日本は、世界の一等国に登り詰めます。しかし、1945年、太平洋戦争に敗れ、日本は焦土と化しました。日本は何故坂を転がり落ちていったのか。開港から敗戦までの変遷を辿るシリーズ、「JAPANデビュー」第一回のテーマはアジアです。

    ——日本の南西に位置する台湾。ここは日本の最初の植民地と成った場所です。近代日本とアジアの関わり、その原点はこの地にあります。毎年秋に行われる道教の祭り、台湾の住民のほとんどは中国大陸から移り住んだ「漢民族」です。日本は太平洋戦争の敗戦まで、50年間に渡り台湾を支配しました。台北市の公園に、日本の統治時代を生きた台湾の人々が居ました。

    ★公園の風景

    「当時の大日本帝国軍人。一万二千八百隊×××宜しくお願いします(敬礼)。死に損なった日本兵ですよ。あのですね……」

    ——太平洋戦争当時、台湾の青年達は日本軍の兵士として、戦場に駆り出されました。

    「日本男児と生まれ来て、戦の場(にわ)に立つからは名をこそ惜しめ武士(つわもの)よ、ハハハ……」
    「守るも攻めるもくろがねの浮かべる城ぞたのみなる(以降、数名で合唱)。仇なす国を攻めよかし」

    ——日本は台湾の統治に力を注ぎ、この島を足がかりに、アジアへと勢力を拡大しました。半世紀の及ぶ統治で、日本は台湾の人々に、日本語をはじめ、日本精神を叩き込んでいきました。そして、太平洋戦争中、およそ21万の台湾人を、日本軍に入隊させ、次々と戦場に送り込みます。
    台湾は日本のアジア支配、大東亜共栄圏の基点となっていきます。日本の傀儡国家、満州国、ここに五千人を越す台湾人が移り住みました。台湾の人々は、満州国の役人や技術者となり、日本の支配を支えました。太平洋戦争勃発後、日本が占領したインドネシア、台湾での統治経験を活かし、人々に日本精神の体得を強制していきます。

    ★授業中の風景(少年の声)

    「私たちはどんな苦しいことでも我慢して力一杯働いています。あのアメリカやイギリスや、オランダに負けてはいけないと思うと、どんなことでも苦しくありません」

    語り・礒野佑子:
    ——日本のアジア支配の原点となった台湾。そこから近代日本とアジアとの関係が見えてきます。50年間の日本の台湾統治を象徴する、二枚の写真です。「人間動物園」、そして「台北第一中学校の生徒達」。

    ——台湾の先住民族です。およそ100年前、日本は彼等をロンドンに連れて行き、博覧会の見せ物として展示しました。この写真には世界にデビューした日本が、一等国へと登り詰めるまでの歴史が秘められています。

    語り・濱中博久:
    ——日本が開港して間もない19世紀後半。西洋列強が注目していたのは、台湾でした。当時、イギリスやフランスなど列強は、アジアに狙いを定め、競い合って植民地を獲得していました。台湾は列強にとって地理的に重要な場所でした。台湾を基点に中国大陸へ勢力を拡大しようと目論んでいたのです。フランス外務省に残された資料(1895)です。

    「イギリスやドイツが台湾を獲得しようとする動きがある。彼らが台湾を侵略するのなら、フランスは何らかの行動をとる」

    ——列強の植民地奪い合いの最前線となった台湾。その台湾を領有したのはジャパン、日本でした。日清戦争に勝利した日本は、台湾を獲得します。この台湾領有の背景には、列強のアジア進出に関する日本の危機感がありました。世界の植民地を研究しているパスカル・ブランシャールさんです。

    フランス歴史学者・パスカル・ブランシャール:
    「日本を開港させたのは、アメリカの軍艦でした。またフランスは東南アジアのベトナム、カンボジア、ラオスを植民地化し、中国南部にも勢力を拡げていました。フランスの軍部では、日本の植民地化も議論されていたほどです。そこで日本は植民地化されない国になるため、欧米列強に倣い、自ら植民地を持つべきだと考えたのです」

    ——明治政府が外交上の指針としたのは、西洋列強の間で定められていた国際法、萬國公法です。ここには国のランクが示されています。世界の国々は、一等国、二等国、三等国に分かれている。一等国とは、イギリスやフランスなど、ヨーロッパの五大国である。三等国は他国の意のままになる。日本はこうした世界観を持つ西洋列強と向き合わねばなりませんでした。
    日本は防衛ラインを拡げるため、アジアへと進出、日清戦争に勝利した1895年、南の要として台湾を獲得したのです。同じアジアである台湾を、最初の植民地としました。現地統治機関、台湾総督府を置きます。当時の首相、伊藤博文は、台湾の統治が一等国を目指す日本の命運を握っていると考えていました。

    「台湾の統治に失敗すれば、日の丸の御旗の光が失墜する(伊藤博文)」

    ——初めての植民地を、日本はどのように統治したのか。その詳細を知る手掛かりがあります。台湾総督府文書です。日本内地の行政文書は、太平洋戦争の終結直前に、多くが焼却されています。台湾総督府文書は、統治の実態を明らかにする貴重な資料です。台湾領有から敗戦までの50年間の記録は、二万六千冊に及びます。
    総督府は、衛生、教育、軍事、民生、警察など最大で二万七千人の官僚を抱える巨大な組織でした。日本は統治に力を注ぎます。しかし、領有直後から問題が噴出します。
    漢民族としての伝統や誇りを持つ台湾人が、日本の支配に対して激しい抵抗運動を起こしたのです。台湾中部、雲林に暮らす邸順意(74)さん。邸さんは親類達から、住民が武器を取って日本軍と戦った様子を伝え聞いています。

    「(字幕)日本軍は川の下流から来ました。台湾人は川の両岸で待ち構えていました。山の中にも潜んでいました。日本軍を取り囲んで射撃したのです。しかし日本軍の攻撃はすさまじく恐ろしかったと聞いています。このあたりの川は、死者の血で真っ赤に染まったといいます」

    ——武力で制圧しようとする日本軍に対し、台湾人の抵抗は激しさを増していきます。戦いは全土に拡がり、後に「日台戦争(1895)」と呼ばれる規模に拡大していきました。戦いによって、台湾の宝といわれる重要な産物が被害を受けます。クスノキから作られる「樟脳」という物質です。台湾の樟脳は、世界のシェアのおよそ七割を占め、西洋列強から注目されていました。

    語り・礒野佑子:
    ——19世紀後半、イギリスでは樟脳を使ってある製品が作られていました。当時、新しい素材として爆発的に普及していたセルロイドです。様々な生活用品に使われる万能の合成樹脂でした。

    科学博物館学芸員:
    「セルロイドは美しい素材としてとても人気がありました。真珠の代わりとしても使われました。これはビクトリア女王の即位75周年に使用されたものです」

    ——樟脳は軍事面でも需要がありました。スウェーデンの科学者、アルフレッド・ノーベルです。1887年、ノーベルは樟脳を使い新しい火薬を発明しました。煙の少ない無煙火薬です。無煙火薬は相手に居場所を探られにくいことから、世界中の軍隊で使われるようになります。世界に広く輸出されていた台湾の樟脳。しかし、混乱する日本の統治下、樟脳工場は次々と操業を停止していきます。

    ★背景・旧イギリス領事館(台湾)

    語り・濱中博久:
    ——行き詰まる日本の統治を、台湾のイギリス領事館は冷徹に観察し、本国に報告していました。日本が台湾を領有した翌年、1896年の報告です。

    「数ヶ月前には価値のある重要だった樟脳の産地が、日本の統治によって永遠に廃墟になってしまった」

    ——フランスもまた、日本に厳しい評価を下していました。

    「非常に素晴らしい島が、まったくの未経験者に支配された。極めて残念なことだ」

    ——日本の台湾統治を研究してきたマーク・ピ−ティー(スタンフォード大学客員教授)さんです。

    「日本は自らの植民地統治を、未熟だと認識していました。しかし一方で、ヨーロッパの植民地大国であるイギリスやフランスに、自分達には統治能力があることを示したいと考えていました。ですから、台湾統治の結果は、日本にとって大変重要でした。日本は台湾を自らの能力を見せるためのショーケースにしたかったのです」

    ——台湾統治を成功させ、一等国を目指す日本。しかし、統治の方法を巡り、政府内で大きな混乱が起きていました。原因の一つは、明治政府が作った憲法にありました。台湾領有の六年前に発布されたこの憲法には、植民地の規定が記されていなかったのです。明治憲法の下では、日本の領土に生きる人は、みな天皇の臣民であるとされました。これに従えば、日本が領土とした台湾の人も、天皇の臣民となります。しかし、民族も習慣も異なる台湾人を、臣民として日本人と同様に扱うべきか、議論が起きます。

    ——日本は世界の二大植民地大国、フランスとイギリスを参考にします。フランスがアルジェリアの統治で掲げたのは、同化政策でした。フランス国内と同じ法律をアルジェリアにも適用し、フランス国民として生きるよう求めました。
    一方、イギリスの植民地、インドの統治は対照的なものでした。イギリスは、イギリス人とインド人を明確に区別し、現地のみに通用する法律、特別法によって統治しました。
    日本の下した結論は、いわば、フランスとイギリスの折衷案でした。台湾人を、日本人と同じ天皇の臣民と位置付けながら、台湾のみに通用する特別法を定めたのです。

    【転載歓迎】NHK「JAPANデビュー」全内容文字起し-Part.2
    http://jif.blog65.fc2.com/blog-entry-103.html 

    ——台湾領有から三年後、一人の官僚が台湾に着任し、統治の改革に乗り出します。総督府ナンバー2の民生局長、後藤新平です。後藤は、台湾全土の調査を行います。臣民と位置付けられた台湾人の実態を、把握するためでした。
    台湾には漢民族の他に、パイワン族をはじめ、14の先住民族が暮らしています。先住民族が暮らす山間の地域は、樟脳の産地に近いことから、治安の安定が一際重要でした。後藤は、先住民族の村々に自ら足を運びます。そして、日本からは、人類学者や法律の専門家が入り調査をします。台湾総督府文書の中に、先住民族の調査報告書が残されています。

    国史館台湾文献館研究員・陳文添:
    「(字幕)これは当時、台東地域で生活していた先住民族です。顔の入れ墨や使用していた武器もきめ細かく描かれています。この民族には首狩りの習慣がありました」

    ——後藤が語った言葉があります。

    「ヒラメの目をタイの目に変えることはできない。台湾人を日本人に変えることは難しい」

    ——風習や文化が異なる台湾人を、臣民として日本人と同じ法律で統治していくことは、困難であると判断します。後藤は、台湾のみに適用される法律、特別法を駆使していきます。先ず手を着けたのは、住民の抵抗運動を抑えることでした。後藤が考え出した条令、匪徒刑罰令です。日本内地ではあり得ない厳しいものでした。略奪、殺傷のみならず、建物や標識、田畑を破壊した者は死刑。未遂であっても同罪とする。総督府警察が、匪徒、犯罪者と見倣せば、たとえ未遂でも死刑に処せられました。

    ——匪徒刑罰令によって死刑になった台湾の人々です。条令施行後の五年間で、三千人に達しました。日本統治への抵抗を根絶させるため、後藤は台湾人の協力者を取り込んでいきます。柯(か)徳三さん、87歳。柯さんの祖父は、日本の統治に協力した一人でした。祖父・秋潔さんです。一家は中国福建省から移り住んで来た漢民族でした。秋潔さんは逸早く日本語を学び、日本の統治下で生きていく決意をします。

    柯徳三(日本語で語る):
    「金の無い貧乏の農民として、私たちの祖先ですね。渡って来たその祖先達はね、この土地で経営して、田畑を植えて生活しているのに、いまさら大陸に戻ったら何も出来ない。びた一文無い。だから結局、帰れない」

    ——地区のまとめ役だった秋潔さんは、住民を監視し総督府に報告する役割を担わされました。後藤は、秋潔さんのような人物を組織化していきました。

    柯徳三(日本語で語る):
    「あの住んでいる住民達をね、一人でも漏らさないようにコントロール出来る訳だ」

    NHKスタッフの声:「周りの人達からどう思われていたんですかね?」

    「周りの人達は恐らく、僕ら少年の時は、ああいうこと、分かりません。大人になってから後で考えたらね、恐らくあんたは、日本人の走狗(手先)だ、日本人の人に使われとった奴隷だ、そういう考え方やっとったかもしれませんね、ああ」

    ——後藤は、日本人児童が通う小学校とは別に、台湾人児童が通う公学校を開設、統治に必要な日本語の初等教育を始めます。柯秋潔さんは、公学校の日本語教師も務めます。日本の統治に協力してきた秋潔さんは、息子の文徳さんを、日本人が通う小学校に入学させます。それまでの功績から、通学が認められると考えたのです。しかし、このことが総督府で大問題となります。台湾総督府文書に、小学校校長の報告書が残されていました。

    「台湾人子弟在席の事件、柯文徳という台湾人が、学校内にいることを発見しました。
    誠に恐縮なことでありまして、直ちに退学を命じました」

    ——後藤は全ての学校に通達を出します。

    「台湾人の児童と日本人の児童は教育の目的が異なる。こうした規則が徹底されなければ、統治の目的は永久に達せられない」

    ——退学させられた、柯文徳さんは、徳三さんの父親です。

    柯徳三(日本語で語る):
    「もしこれを許せば、総督府がこれを許せば、小学校にどんどん台湾人が入るかもしらんと恐れたんでしょ、つまり、課外の民である台湾人を日本語教育するために、公学校というのをこしらえたんだから、おまえらしゃべることに事欠かず、普通の生活に事欠かない程度の日本語を覚えればそれでいいんだ、そういうつもりなんでしょ」

    ——後藤は、統治の基礎を固めながら、台湾の宝である樟脳産業の立て直しに着手します。生産現場を管理し、労働者への指導を徹底します。

    元樟脳工場労働者・許雲集(91):
    「(字幕)一カ所でクスノキを切り終わったら、すぐ別の場所で働けと命じられました」

    ★キールンの風景

    ——樟脳貿易の拠点となった港、キールン(基隆)。後藤は、自ら陣頭指揮を執り、小さな入り江だったキールンを、大型船が入れる港に作り替えました。南北400キロを結ぶ縦貫鉄道を建設、樟脳の輸送ルートを確保しました。
    総督府は、樟脳の販売を独占します。後藤が赴任した二年後には、樟脳の事業は赤字を解消、現在の価値で、年間およそ100億円の収入を上げるようになります。
    「台湾十年間の進歩」、後藤の時代に台湾総督府が出版した欧米向けのパンフレットです。そこでは、台湾が金のなる島になったことをアピールしています。台湾を急速に発展させた日本には、一等国の資格があることを強調したのです。イギリスの商社にとって、台湾の樟脳は重要な貿易商品でした。後藤の改革により、樟脳が安定的に供給されるようになったことを、イギリスは歓迎します。

    「日本の政策によって我が国にも多大な利益がもたらされることになる。今後半世紀にわたり台湾の樟脳は、世界中に供給されるであらう」

    ——台湾領有から15年後の1910年。日本は、統治の成果を世界に示す絶好の機会を得ます。ロンドンで開かれた日英博覧会。日本とイギリスの友好関係を祝う催しでした。近代国家として坂を駆け上ってきたジャパン。会場では日本の産業や文化が幅広く紹介されました。訪れた観客はおよそ800万人。特に人気を集めたコーナーがありました。台湾の先住民族、パイワン族。日本は、会場内にパイワンの人々の家を作り、その暮らしぶりを見せ物としたのです。

    ——日英博覧会のガイドブックです。そこでは、台湾の人々が、客の前で戦いの踊りをし、戦闘の真似事をすると記されています。当時、イギリスやフランスは、博覧会で植民地の人々を盛んに見せ物にしていました。人を展示する、人間動物園と呼ばれました。日本はそれを真似たのです。

    フランス歴史学者・パスカル・ブランシャール:
    「当時、西洋列強には、文明化の使命という考え方がありました。植民地の人間は野蛮な劣った人間であり、ヨーロッパの人々は彼らを文明化させる良いことをしている、と信じていました。それを宣伝する場が、人間動物園だったという訳です。この時代、日本もまた、世界には民族の違いに基づいて、階層があると考えるようになりました。そして、自分達は階層の頂点にあり、その下にアジアの他民族がいる、そうした世界観がハッキリと根付いていったのです」

    ★台湾南部、高士村の風景

    ——台湾南部、高士村。パイワン族が暮らす村です。およそ100年前、日英博覧会に連れて行かれたのは、この村の出身者でした。

    ——博覧会の会場で売られていたパイワンの人々の写真です。裏には、高士村から来た、と記されていました。展示された青年の息子、許進貴(85)さん。そして娘の高許月(79)さんです。父親の名は、チャバイバイ・プリャルヤン。チャバイバイさんは生前、博覧会のことについて子供達に語ることはありませんでした。

    高許月:
    「(字幕)悲しいね。この出来事の重さ語りきれない」

    その横から声(日本語):
    「悲しいね、語りきれないそうだ。悲しい、この重さね、話しきれないそうだ」

    語り・礒野佑子:
    ——ヒラメの目をタイの目に変えることはできない。後藤新平は、独自の法律で抵抗運動を抑え、樟脳産業を立て直しました。日本は、台湾統治の成功を誇示し、世界に一等国入りをアピールしました。その後の台湾統治を象徴する一枚の写真。「台北第一中学校の生徒達」。台湾人に日本の文化を叩き込み、民族性まで奪っていった歴史が秘められています。

    【転載歓迎】NHK「JAPANデビュー」全内容文字起し-Part.3
    http://jif.blog65.fc2.com/blog-entry-102.html 

    語り・濱中博久:
    ——1914年、日本の台湾統治に大きな影響を及ぼす戦争が起こります。第一次世界大戦です。日本はこの時、イギリス側に立って参戦、戦勝国の一員となります。1919年、パリ。第一次世界大戦の戦後処理を話し合う、パリ講和会議が開かれました。日本は、この国際会議に、イギリスやフランスなどと並んで、初めて五大国の一つとして招かれます。64人の大代表団を送り込んだ日本。ジャパンは、遂に列強から一等国と認められたのです。この時、アメリカ大統領ウィルソンの発言が、世界の植民地に大きな影響力を及ぼしていました。民族自決主義、それぞれの民族が、自らの運命を決定する権利を持つという考え方です。

    語り・礒野佑子:
    ——ヨーロッパでは、民族自決主義に基づいて、ポーランドやチェコスロバキアなどが独立を果たしていきます。民族自決主義は、アジアの植民地にも火を点けます。民衆に呼び掛けるインドの指導者ガンジーです。ガンジーは、イギリスの統治に対抗し、非暴力不服従運動を展開していました。フランス統治下のベトナムでも、民衆の抵抗運動が始まります。そうしたうねりは、ホーチミンでの武装闘争に発展していきます。
    日本が統治していた朝鮮でも、独立を求める激しい抗議行動が起きます。「三・一運動」です。市民がデモを繰り返し、朝鮮総督府の警察部隊と衝突、多数の死傷者が出ました。そして台湾でも、日本の統治に異議を唱える運動が始まります。

    語り・濱中博久:
    ——蒋松輝さん、96歳。蒋さんの父親は、民族運動を率いた一人でした。当時は、病院を経営する医者でした。

    蒋松輝(日本語で語る):
    「向こうに見える義美というお菓子屋。あそこは親父の病院、大安病院の跡です。上は初めは病室だったけど、後は全部、運動の集会場になった。だからまあ、あの当時の民族、自覚運動の本拠地だったんです」

    ——父・蒋渭水です。蒋は、武装闘争ではなく、出版や講演会などの言論を通じ、民衆に民族意識に目覚めるよう呼び掛けました。

    蒋松輝(日本語で語る):
    「警察は民衆の中に入って、入り込んでいるから、誰がどういう思想を持っているか、一目瞭然だ。だから、できる、できるはずはない。武装闘争できるはずない」

    ——台湾議会設置誓願運動。台湾住民から成る議会を設置し、法律と予算を審議する権利を要求しました。いわば台湾人の自治を求めたのです。1921年、日本の国会に台湾議会設置のための請願書が提出されます。この時、日本は世界の民族自決の潮流と逆行します。首相・原敬は、議会で自らの統治方針を語りました。

    「台湾の全ての程度に応じて内地の法律を施行する」

    ——原が進めようとしたのは、同化政策です。法律上、台湾を内地と同様に扱うことで、民族運動を収めようとしたのです。原が示した方針に対し、議員から疑問が投げ掛けられます。

    「フランスでは同化政策を採用していたが、次第に廃棄している。今これから日本だけが同化政策を採るのか」。

    ——この頃、フランスはアルジェリアの同化政策を放棄していました。住民の反対運動が激しさを増し、植民地を同じ法律で統治することの限界が露呈していました。しかし、原は答えます。

    「他の国がどうであるからと言って、日本にもそれを敷くわけにはいかない他の国の植民地と日本の植民地は違う。現にここに内地同然になった例がある。琉球だ」

    ——明治維新の11年後、琉球は沖縄県として日本に組み込まれます。沖縄には、内地の様々な法律が次第に導入されていきました。参政権が認められ、税制や徴兵制が布かれました。その結果、日露戦争では二千人の沖縄出身者が、日本の兵士として戦場に立ちました。原は、台湾議会の設置を認めませんでした。台湾人が、明治憲法下で、同じ臣民であると定められている以上、沖縄のように同化することを求めたのです。

    ——台湾の同化政策で先ず重視されたのが、教育でした。それまで台湾人は、日本人と別々の学校に通っていました。同化政策によって、同じ小学校に通えるようになります。さらに、日本人しか通うことの出来なかった中学校への進学も許可されました。

    ★同窓会の風景

    ——かつて父親が日本人小学校を退学させられた、柯徳三さんです。
    柯さんは同化政策によって、日本人と同じ小学校を卒業し、中学校に進学しました。柯さんが通った旧制中学校、台北第一中学校を卒業した台湾の人々です。78歳から96歳までの卒業生が一堂に会した同窓会です。台北一中時代の柯徳三さんです。クラスメイトは50人。その中、台湾人の生徒は二人だけ。他はみな日本人です。同化政策の実態は、台湾人にとって極めて厳しい制限付きのものでした。

    卒業生(日本語で語る):
    「それでね、一中なんかね、あんたね、台湾人は3%しか、3%ぐらい」

    卒業生(日本語で語る):
    「台北一中を受けるために、日本人より勉強しないと受からない」

    柯徳三(日本語で語る):
    「日本人になりたい、小さい時は日本人になりたい、どうして台湾人というものに生まれたかなんて考えたけどね、小さい時、小学校の頃ね」

    ——狭き門を潜り抜け、中学校に入学した台湾の生徒達。しかし、日本人が大多数を占める中で、より多くの偏見や差別に苦しめられることになります。

    柯徳三(日本語で語る):
    「台湾人の豚肉の角煮ね、ローバーだな。ああいうものを弁当に持っていってるでしょ、そうすると笑われるんだ。笑われるから。特に豚の尻尾なんか持っていったら笑われる。あれなんだ、豚の尻尾だ。台湾人は豚の尻尾食うのか、わいわいわいわい騒ぎ立てるんだね。そういうことだから、だから家に帰って、母に文句言ったんです。弁当のおかずを日本式にしてくれ、卵焼きとかね、たらことかね、ああいうものをやってね、そして、なるだけ台湾食を無くしてくれって、要求したんです。私の母も随分苦労したよ。さくら干しとか、みりん干しとか、ああいうものね、おかずにして持って行く。そしたら弁当の蓋を開けるのも、堂々と開けられるね、台湾式のおかず持って行ったら隠さんといかん。恥ずかしくて、笑われるから、あれ、子供の時代、年取って大人の……」

    ——台北一中を卒業した台湾人生徒達は、日本人の生徒と同様に、高校や大学に進学しました。社会に出ると、さらに露骨な差別を受けることになります。

    卒業生(日本語で語る):
    「僕の親父は一番下の判任官(役人)になっていたけど、あんたね、一月ね、百円貰って、同じ判任官でも僕の親父は百円で、内地人は百六十円貰えるんだ」

    「同じ職場で、同じクラスで」「そうそう」

    「父も華南銀行におったんですが、台湾人だと伸びないんですよ。だからみんなお医者になるって。お医者になったら技術次第だからね」

    柯徳三(日本語で語る):
    「私の従兄弟の姉さんが、日本人の嫁になって、日本へ行ったけどね、戸籍が入らん。あれが差別。こういうのが差別でしょう。ああ、それで随分苦労したって。最後の最後まで、台湾人である身分を隠さんといかん」

    卒業生(日本語で語る):
    「台湾においては一等国民は内地人で、二等国民が琉球だ。三番目が台湾人だ」

    ——台湾には当時、およそ一万人の沖縄出身者が暮らしていました。とりわけ多かったのが教育関係者でした。日本は、既に同化が進んだ沖縄の人々を台湾に送り込み、指導に当たらせていました。

    NHKスタッフの声:「日本時代をどう思いますか?」

    卒業生(日本語で語る):
    「もう嫌だな、嫌だ。差別、馬鹿にしよって」

    ——1923年、台湾総督府で大きな計画が持ち上がります。皇太子を台湾に招く、行啓です。総督府がまとめた、「台湾行啓記録」には、その目的が記されています。

    「我が国皇道の博大なる仁愛を示し、遠く離れた台湾の民に、すがるべき主君を知らしめる」

    ——皇太子を招くことで、台湾人に日本人と同じ臣民であることを、実感させようとしたのです。
    皇太子を迎える予行演習。並んでいるのは先住民族です。演習に参加した先住民族の言葉が、残されています。

    先住民族の言葉:
    「困ったのは不動の姿勢というやつだ。背中から汗が流れるが、拭くことも出来ない。のみならず、目の玉さえ動かすことがならぬ。それは自分らには、生まれて初めての大苦痛であった」

    ——1923年4月。皇太子、後の昭和天皇が台湾に到着。当時、皇太子は、病気だった天皇に代わり公務を担っていました。皇太子は12日間に渡り、台湾各地を回りました。視察したのは、統治によって日本化されていく台湾の姿でした。皇太子は、学校や工場など、およそ百カ所を訪ねました。そして訪れた先々で、台湾の人々に姿を見せました。台湾行啓記録の文章です。

    「台湾人は日のいづる国の民という自覚に歓喜している。彼らは今や朝廷忠良の民となった」

    【転載歓迎】NHK「JAPANデビュー」全内容文字起し-Part.4
    http://jif.blog65.fc2.com/blog-entry-101.html 

    ——皇太子の行啓を、千載一遇の機会と捉えた人物がいます。台湾議会設置運動の指導者、蒋渭水です。蒋は、皇太子の一行が、自分の病院の前を通過することを知ります。考え出したのは、皇太子に直接、台湾議会の設置を訴えることでした。

    蒋松輝(日本語で語る):
    「親父はそのコースを狙って、大きなのぼりを作った」

    ——恭しくお迎え致します、台湾議会誓願団。のぼりに書かれた言葉です。

    「目的は悪くない。目的はただ、台湾人がこういうことをやっていることを摂政宮(皇太子)に知らせたかった。ていうのはあれ、雲の上の人でしょ。知らないよね。台湾人がそういうことをやっていることを、全然知らない。だから知らせようと思って、これを作った」

    ——蒋渭水の病院前を通過する皇太子の一行です。しかし、そこに蒋の姿はありませんでした。実行直前に警察に見付かり、拘留されたのです。台湾議会の誓願は、14年間続けられましたが、認められることはありませんでした。台湾の民族運動を研究してきた歴史学者の周婉窈さんです。

    周婉窈(台湾大学歴史学系教授):
    「この時、台湾人は日本からの独立を求めていたわけではありません。日本の統治を認めた上で、自治を求めていたのです。ですから日本が台湾人の訴えに応えて、自治を許していたら、日本はアジアで新たな世界を創り上げることになったはずです。そうすれば、今日でもアジアの人々の支持を得ることが出来たでしょう。しかし、日本はこの分岐点に差し掛かった時、そうした行動を取ることはありませんでした。台湾人の自治を認めることは無かったんです」

    ——1937年、日中戦争が勃発。台湾統治が新たな局面を迎えることになります。当時台湾には、およそ500万人の漢民族がいました。日本は、自らの領土内に敵と同じ民族を、抱え込むことになります。当時の台湾総督、小林躋造です。小林は、軍人出身者として17年ぶりに台湾総督となりました。軍との結び付きを強めた総督府は、新たな統治方針を打ち出します。

    「現下の情勢に鑑み、五百万島民が打って一丸となり、等しく皇国民たる資質を体得するを要す」

    ——小林は、皇民化というスローガンを掲げます。皇民化とは、天皇中心の国家主義のこと、台湾人を強制的に日本人へと変える政策でした。学校や新聞などで、中国語を禁止し、日本語の使用を強要します。当時、台湾総督府の官僚だった、田宮良策さんです。田宮さんは、軍部の強い要請の下、皇民化政策を担うことになります。

    元台湾総督府官僚・田宮良策(98):
    「日本語を話せない人は御遠慮下さい、ということで、バスは乗せなかったですね。しかし、人間の数からしたら、日本人は微々たるものなんですから、その台湾人同士で、こう話す時には、平気でね(中国語)を話す。いや、それは、こっちは(軍の幹部に)実情を話しながら、もう少し方法を変えて貰えないかとかね、いくと、お前は非国民だっつうんだ。軍刀を抜かれたことはないけど、ここ(腰の刀に手をかける仕草)、こうやられたことはありますな」

    ——皇民化政策は、人の名前の変更にまで及びました。同じ時期、朝鮮半島では、新たに氏を創る「創氏改名」が行われ、台湾では「改姓名」が始まりました。

    ★先の同窓会の風景

    卒業生(日本語で語る):
    「私、林(りん)です。それで、僕のお父さんは林(はやし)という名前で改姓名したかった。それは許可出ない。台湾の林ていう姓は必ず、中林(なかばやし)だとか大林(おおばやし)とか中林(なかばやし)とか小林(こばやし)という、もう一字付け加えないといけない」

    卒業生(日本語で語る):
    「私は黄(こう)で、廣内ね。この字(黄)を残すように、自分の考えをね、それが多いんです」

    NHKスタッフの声:「それはどういう思いなんですか?」

    「昔の姓を残したい、昔の自分の姓を残したい、改姓名は結局、公務員の方ね。職場に就いている人は、あのね、改姓名すると、昇級の、あの条件になってしまうんです。それで仕方なしに、みな改姓名するんです」

    ——皇民化政策は、台湾人の心の中にまで踏み込んでいきます。台湾全島に、日本の神社を次々に建て、人々に参拝を強制します。

    ★背景・開復廟

    ——そして、台湾人が拠り所にしてきた宗教への弾圧が始まります。道教寺院や廟の参拝を制限、建物の取り壊しも始めます。この廟を管理する鄭啓松さんは、少年時代の出来事を克明に覚えています。1938年、地域の寺院や廟に奉られていた神々の像が集められ、全て焼かれました。

    鄭啓松(80):
    「(字幕)神様を、掛け布団の中に隠した人もいれば、台所に隠した人もいました。それでも日本人は、神様を郡の役所に持ってくるよう命じました。従わない者は29日間も刑務所に入れられるのですよ」

    ——新たに作られた日本の神社には、破壊した台湾の寺院や、廟の木材も使われました。そして、建築には近隣の台湾人も借り出されました。皇民化政策によって、台湾の人々は、台湾人であるという意識を大きく変えられていきます。

    ★先の同窓会風景

    柯徳三(日本語で語る):
    「酒を呑むのも日本酒で、こういう人間に誰が育てた、日本だ。そして、しゃべるのも日本語、台湾語でこういう演説を出来ない」

    卒業生(日本語で語る):
    「自称知識人と言いながら、ね、中国文で今言ったような言葉書けないよ、書こうと思ったら日文ですよ。そっから見れば、果たして幸福かどうか」

    柯徳三(日本語で語る):
    「書けないよ、あんた書けますか、中国語で」

    卒業生(日本語で語る):
    「僕は書けないね」

    柯徳三(日本語で語る):
    「頭のコンピュータが既に日本化されてしまっているから、あの20何年間の教育というのは、実に恐ろしいね。こういうの、頭が全部ブレーンウオッシュされているからね。だから日本式にものを考えたり、日本式に日本語をしゃべったりする」

    ——近年、日本統治時代を記録したフィルムが発見されました。ここには、皇民化政策が行き着いた先が、映し出されていました。戦時下、台湾青年を集めた訓練所が、各地に作られていきます。そこでは、皇民化政策によって、日本人としての精神が叩き込まれました。台湾の青年達は、天皇の兵士として日本軍に加わり、国のために命を捧げることになります。担ったのは日本の政策「南方進出」でした。

    元台湾総督府官僚・田宮良策(98):
    「軍の考え方じゃ、やっぱり(台湾を)南進基地にしたいと、そうすっと、こりゃ、あの自国の敵国になるような人を向こうに回しちゃ拙いから、結局、そりゃ、自分の方の同胞にひっつけておいた方がいいと、日本人にした方が、将来、所謂南方の海洋国家にね、なっていくのには、あそこ(台湾)を根拠地にするのは、一つの、軍部としては、そう考えたんじゃないでしょうか」

    ——1941年12月、太平洋戦争が勃発。日本は、戦争の目的を、欧米列強からアジアの植民地を解放することである、としました。
    総督府前を行進する「台湾人日本兵」です。太平洋戦争期間中、およそ21万の台湾人が、日本軍に入隊します。そして、中国や南方戦線へと送られていきました。台北一中を卒業した柯徳三さんは、この頃、台北帝国大学の医学部に進学していました。1945年4月、柯さんは日本海軍に入隊します。訓練中、アメリカ軍の大空襲を受け、多くの台湾人兵士が命を落としました。さらに親族も犠牲になります。

    柯徳三(日本語で語る):
    「それだから、神子一人のためとか、喜んで天皇陛下のために死んでいってるや。死んだ、死んだ奴こそ災難だよ、ほんと。戦争で犠牲になってね、叔父は海軍の軍属で、マラリアに罹って海軍病院に入っとった。それで帰れるかと思ったら帰れない、死んでる。死んで、どういう病気、マラリアで死んだのか、殺されたのか、どうされたのか、分かりません、全然。未だに分かりません。もちろん骨もありません」

    ——1945年8月、敗戦。日本は50年に渡って統治した台湾を手放します。ジャパン、アジアの一等国の終焉でした。

    ★最初の公園の風景

    群衆の一人、日本語で歌う:
    「太平洋の空遠く、輝く南十字星……」

    ——戦場に赴いた、元台湾人日本兵です。太平洋戦争中、三万人を越す台湾人が、戦場で命を落としました。

    群衆の一人、日本語で歌う:
    「守りは我ら台湾軍、ああ厳として台湾軍。台湾軍の歌、台湾軍の歌」

    群衆の一人、日本語で語る:
    「あの、教育勅語ね、教育勅語。今ほとんど皆、分かりますよ。暗唱しちゃいましょうか」
    「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ……」

    ——戦後、台湾を統治したのは蒋介石率いる中国国民党でした。日本兵として中国と戦った台湾人は、かつての敵の下で暮らすことになります。台湾人は、日本人の奴隷になったと非難され、国民党と衝突、多くの人々が処刑されていきました。

    ★再び公園の風景

    群衆の一人、日本語で語る:
    「孤児になって捨てられたみたいですよ。人を馬鹿にしているんだ、日本は。そういうとね、間違ってるか?本当のことだろう。間違ってるか?本当のことだろう。これ嘘じゃない、帰ったらね、日本の若い連中には分からないけど、年寄りの80歳以上の人に、まあ、あの宣伝して下さい。台湾の、台湾の当時の若い青年は、如何にして、日本の民と協力して、尽くしたか、心を察して貰いたい。ハハハ、分かりますか。そうでしょ、命を掛けて国のために尽くしたんだよ、命のため、それなのに……」

    ★同窓会の風景。台北一中、パイワン人の写真など

    フランス歴史学者・パスカル・ブランシャール:
    「私たちは、他者と共有できる歴史を探り当てなければなりません。他者の歴史を知ることは、自分自身を知ることでもあります。私たちは最早、正しく優れているのは自分で、間違って劣っているのは相手だ、と考えることは出来ません。世界に目を向け、何故世界の人々が、日本をこのように見るのか、理解しなければならないのです」

    ★渋谷界隈の夜景

    ——親日的とも言われる台湾に、今も残る日本統治の深い傷。それは今後、アジアの中で生きていく日本が、分かち合わなければならない現実です。過去と向き合う中から見えてくる未来。150年前に世界にデビューしたジャパンの歴史が、私たち、一人一人の明日を問い掛けています。

    %%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%
    ★エンドロール
    NHKスペシャル シリーズJAPANデビュー
    第一回 アジアの"一等国"

    資料等協力(略)

    語り:濱中博久、礒野佑子
    声の出演:81プロデュース
    撮影:竹内秀一
    編集:渡辺政男
    ディレクター:濱崎憲一、島田雄介
    政策統括:田辺雅泰、河野伸洋

    『台湾の声』  http://www.emaga.com/info/3407.html
    『日本之声』 http://groups.yahoo.com/group/nihonnokoe (Big5漢文)

    解除するには下記URLにアクセスして下さい。
    http://www.emaga.com/tool/automail.cgi?code=3407&mail=koe3407.emaga228@blogger.com&e=1

    2009年4月17日金曜日

    2009年4月13日月曜日

    「台湾の声」【NHK】本日よりチャンネル桜が「 JAPAN デビュー」問題を総力特集

    本13日〜 チャンネル桜がNHK「JAPAN デビュー」問題 総力特集

    ★☆ NHK「JAPAN デビュー」問題 総力特集! ☆★

     日本の歴史を世界との関わりの中で振り返ることで、これからの日本を考える
     ヒントを探るべく、複数の関連番組によって展開されていくという、NHKの「プロ
     ジェクトJAPAN」。 その一環として4月5日に放送された「NHKスペシャル『シリー
     ズ・JAPANデビュー』第1回『アジアの"一等国"』」は、台湾における日本統治時
     代の概要と、その時期を日本人として生きた台湾人達へのインタビューで構成
     されていましたが、その内容には著しい偏向が見られ、台湾をよく知る日本人
     ばかりか、当の台湾人達からも、あまりにも反日的で不本意な番組であるとの
     怒りの声が上がっています。

     まるで、中共政府の意向をそのまま汲んだかのような視点で歴史を描き、親日
     国・台湾の人々が日本へ寄せる愛憎相半ばする切なる心情をもただ踏みにじり、
     「憎」のみを強調し、日台間の真の相互理解の妨げにもなりかねない当該番組
     とその制作意図について徹底的に追究し、「公共放送」としての責任を問う総力
     特集を展開していきます!

    ◆ 4月 13日(月) キャスター:大高未貴・前田有一 / コメンテーター:井尻千男
       【NHK「JAPANデビュー」問題抗議声明提出】
       NHKの番組「JAPANデビュー」シリーズ第1回「アジアの"一等国"」の内容が
       あまりにも実態とかけ離れ、反日的な視点で描かれているとして、4月10日、
       日本李登輝友の会が NHK会長宛てに抗議声明を出した件につき、同会事
       務局長の柚原正敬氏にお伺いします。
       また、服役中に目にした刑務所の実態から福祉が抱える問題を訴えておら
       れる元衆議院議員の山本譲司氏に、御著書『累犯障害者』をご紹介いただ
       きながらお話を伺うほか、「天皇皇后両陛下御大婚50年をお祝いする集い」
       (4月10日)の模様もお送りします。

     ◆ 4月 14日(火) キャスター:三輪和雄・児玉麻衣比
       【NHK「JAPANデビュー」が削除したこと】
       台湾研究フォーラム会長の永山英樹氏をお迎えし、NHKの番組「アジアの
       "一等国"」に登場していた旧制台北第一中学校卒業生の一人・柯徳三氏か
       ら直接、国際電話でお聞きになったという、NHKから取材を受けた時の様子
       や、本当に伝えたかったのに番組では削除されてしまった心情などについて、
       お話を伺います。

     ◆ 4月 15日(水) キャスター:高森明勅・芳賀優子
       ※ 引き続き、NHK「JAPANデビュー」問題についてお送りします。
         番組の詳細は判明次第、下記ページにてお知らせいたします。
         http://www.ch-sakura.jp/topix/488.html


    ◆◇◆ 「日本よ、今...闘論!倒論!討論!2009」 ◆◇◆

     [ 毎週 木曜日 公開予定 ]
     歴史、政局、安全保障、教育、外交などなど日本が直面している課題や時局のテ
     ーマについて、深く、鋭く斬り込んでいく充実度NO.1の討論番組。
     チャンネル桜ならではの一流論客陣が勢揃いし、他では聞けない、まさにホンモノ
     の議論を展開していきます!

     ◇ 4月 16日(木) 配信予定
       NHK の番組「JAPANデビュー」問題について、徹底的に議論を交わします!

       パネリスト
         小田村四郎 (前拓殖大学総長・日本李登輝友の会会長)
         永山英樹 (台湾研究フォーラム会長・日本李登輝友の会理事)
         西村眞悟 (衆議院議員)
         松浦芳子 (東京都杉並区議会議員)
         柚原正敬 (日本李登輝友の会事務局長・台湾研究フォーラム顧問)
         林 建良 (「台湾の声」編集長・日本李登輝友の会理事)
         ほか

       司会進行
         水島 総 (日本文化チャンネル桜 代表)


     ↓「日本よ、今...闘論!倒論!討論!2009」 番組詳細ページはこちら
      http://www.ch-sakura.jp/programs/program-info.html?id=1541


    『台湾の声』  http://www.emaga.com/info/3407.html
    『日本之声』 http://groups.yahoo.com/group/nihonnokoe (Big5漢文)

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    「台湾の声」:読者のNHKへの怒りのメッセージ(5)

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    2009年4月12日日曜日

    「台湾の声」【台湾語教室便り】海角七号に取り組んでいます

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    「台湾の声」【ニュース】中国訪問を国内旅行とする行政院研考会に与野党から非難

    【ニュース】中国訪問を国内旅行とする行政院研考会に与野党から非難
    2009.4.12


                台湾の声

     台湾行政院の政策統合協調機関である行政院研究発展考核委員会(研考会)は
    4月1日に行政作業通知を公布し、台湾の公務員の「大陸地区」への訪問は「出
    国」ではなく、公務員が"中国大陸"を訪問する場合に出国報告する必要ないと
    いう見解を同委員会のホームページで通達した。

     野党・民主進歩党(民進党)の立法委員(国会議員)は、これに対して強く反
    発し、「まさか出国ではなく帰国なのか」、「馬英九政権のエイプリルフール」
    などと揶揄した。そして、江宜樺・研考会主任委員の辞任を求めた。

     与党の中国国民党からも批判の声が上がり、楊瓊瓔・国民党団書記長は「中華
    民国は主権独立国家」と強調する一方で、「よその国を我が国とすることは絶対
    にあってはならない」と研考会の通達を非難した。

     廖婉汝・立法委員(国民党)は「両岸関係は改善したが、『国内』としてお互
    いの関係を定義するには至っていない。彼らは彼ら、我々は我々だ」と語った。

     また、徐中雄・立法委員(国民党)は、「中華民国憲法によると、我が国の領
    土は『中国大陸』を含む。研考会のやり方は間違っていない。中国を我が国の領
    土に入れたことを民進党は怒る必要はない。怒るべきなのは中国だ」と皮肉っぽ
    く語った。

     このほか、「両岸航路」は国内航路でも国際航路でもない「特殊な航路」だ強
    調し、この概念で両岸関係を規定すべきという認識の国民党の立法委員もいた。

     馬英九総統(大統領)は昨年、台湾と中国の関係について、「国と国の関係で
    はなく地区と地区の関係」などと定義したため、与党議員や行政現場でも国家認
    識の錯乱が起こっている模様だ。

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    2009年4月11日土曜日

    「台湾の声」【産経新聞】NHKの番組「内容偏向」

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    「台湾の声」:読者のNHKへの怒りのメッセージ(4)

    4月5日放映の「NHKスペシャル シリーズ・JAPANデビュー」の第一回「アジアの"一等国"」は日本の台湾統治時代を批判するため、台湾人の証言を都合よく操作し、「反日台湾」を印象付けました。目的は台湾と日本の分断か。台湾人はNHKのように中国の反日陰謀に歩調を合わせるような真似をしません!

    抗議の輪が拡大中!協力を

    【抗議先】

    NHK 03—3465—1111(代表) 「ジャパン・プロジェクト」濱崎憲一氏

    NHK視聴者コールセンター  0570-066066

    NHKスペシャル「感想・問い合わせ」 http://www.nhk.or.jp/special/
    ・・・・・・・・

    放送倫理・番組向上機構(通称BPO)ご意見送信フォーム
    https://www.bpo.gr.jp/audience/send/form.html
    総務省・ご意見ご提案の受付
    https://www.soumu.go.jp/common/opinions.html


    以下は読者の怒りのメッセージです。
    *********************************************

    読者のNHKへの怒りのメッセージ(4)


    本当に怒りを感じました。何ということか!白色テロなど一切
    なく、世界の日本人に誤ったNEWSが流れて、さらに多くの
    外国人やとりわけ台湾人に対して・・・・
    何か台湾の政治の行く末を救った蒋介石が、救いの神であるよ
    うな風貌映像を流しており、全く日本の悪口を面と向かって言
    われたような、日本の馬鹿どもが平和ボケしているところに付
    け込まれた感じ。怒らないではいられません。正しい日本の戦
    後史を語らなければならない人の本当の姿なしでありました。

    *********************************************

    NHKのスペシャルについて

            東京在住読者 SA

    NHKは、まず最初に、台湾は一部の少数民族を除いては漢民
    族である、との定義をくだしました。また、最後の部分では、
    戦後は台湾は中国に統治されたと。
    これがかの局の台湾を位置づけるスタンスということでしょう
    ? 私たちがこれまでNHKにした細かい表記の問題への抗議
    は一体何だったんでしょうね。

    あの番組を見て、製作者の歴史のとらえ方のあまりにお粗末で
    あるのと、無知、狭小さに唖然としました。

    昨夜の日本が1910年に展示した「人間動物園」について、
    あの見方は何ですか!

    日本が一等国となるために屈辱的な台湾人の植民地展示を行っ
    たかのような報道でしたが、それはまったくの狭い見方です。


    そもそも博覧会は最先端の技術力(産業)を誇示するためにあ
    り、ビジュアル的な効果的な演出がなければ成功しませんでし
    た。そして自己と見比べることによる「他者を発見」するため
    のものだったのです。それは大航海時代に始まり、世界から物
    珍しい物品が貴族などの館に届くようになり、お金にいとめを
    つけない上流階級は庭にガラス張りの温室(これが後のパビリ
    オンの原型になっていきます)を作り、自分の国(ヨーロッパ
    )にはない椰子の木や花や鸚鵡などを入れて、客人たちに見せ
    たのが始まりです。

    そして産業革命で新しい物品が次々に誕生するにつれ、競争力
    を煽り、国威を示すために博覧会が開かれるようになる。とこ
    ろが、産業革命でもうけた利潤がふくらむと、列強諸国は他国
    へ手を伸ばし始める。いわゆる植民地獲得競争へと入っていき
    ます。

    博覧会も最初は工業製品や珍品を展示するにとどまっていまし
    たが、やがて19世紀の末から、帝国主義を誇示するものを展
    示するようになるのです。=博覧会は帝国主義のディスプレイ
    装置としてとらえなければ正しく理解できません。日本は列強
    と肩をならべるために、その装置の中に自らを組み込んでいっ
    たのです。

    だから、日本が台湾に対してだけの差別ではありません。
    特に、日本の場合、江戸時代からすでにヨーロッパにおいてジ
    ャポニズムが流行していましたから、博覧会の展示には当然、
    エキゾティシズムに訴えるかたちがいいと、日本のイメージを
    演出していくやり方をとりました。

    「人間動物園」に関していえば、番組の放送よりももっと過酷
    なもので、柵で囲われた構造の植民地集落の中で(展示場内部
    )、柵から出さずに生活を強いたり、'89のパリ万博のよう
    に、展示がもっと受けるように、彼らに自分たちになじみのな
    い儀礼やふるまいを演技させられたりもしました。

    しかし、番組が意図的に?かは知りませんが、報道しなかった
    ことは、'01の米・バッファロー博覧会にはフィリッピン・
    キューバ・黒人・インディアンのほかに、日本人集落もあった
    こと。'04の米セントルイス博覧会ではアイヌの人々が展示
    品になっています。台湾人が日本に展示された、たった6年前
    (日英博覧会は'10でしたから)の話ですよ。展示する側に
    回るか、展示される側になるかは、紙一重なのです。

    しかも、そうした帝国主義が自分たちの支配下にある文化に対
    する差別的な関心を呼び覚ましていったのは、何も台湾に対し
    てだけではありませんでした。

    '03(明治36)の第五回内国勧業博覧会においては「内地
    に近き異人種」として、アイヌ・台湾生蕃・ジャワ・キリン・
    バルガリー・トルコ・アフリカなどの人々を自国で展示してい
    る。「帝国主義」たる驕りの何物でもない!

    NHKはそうした世界的な風潮や背景をまったく切り捨てて、
    日台の関係のみと思わせるべくクローズアップして報道しまし
    た。これが公共の放送のすることでしょうか。

    *********************************************

    台湾の声様

    最初のほうでフランスの学者が「日本は列強国に倣い植民地を持つべきだと考えたのです」「台湾は日本のアジア支配の起点となっていきます」とまるで日本が台湾支配を望んだかのように聞こえますが、それならなぜ「乞食が馬をもらうようなものだ」とフランス売却案がでたのでしょうか?
    台湾領有を始めたとき「漢民族としての伝統や誇りを持つ台湾人の抵抗」とありましたが、なぜ清から台湾に派遣されていた役人を大統領にまつり上げ『台湾共和国』を建国したが、日本軍が基隆に到着したと同時に大陸に逃げ出し、台北城内は清の兵士による略奪や暴行で阿鼻驚嘆の状態になり、街の士紳の一人が日本軍を招き入れて無欠入城し治安を回復した事を話さないのは何故ですか?あの番組は日本を悪役に設定したドラマのようです。影ばかり教えても光の部分も教えなければあの時代の全体を見る事ができません。バランスが悪すぎます。

    佐藤 千枝

    *********************************************

    【参考】転送転載歓迎


    「反日台湾」を強調したNHKスペシャルー「シリーズJAPANデビュー」


    ブログ「台湾は日本の生命線!」より
    ブログでは関連写真もあり。
    http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-714.html


    1、漢民族弾圧を強調—日本の台湾統治史で反日宣伝 

    ■保守派も太刀打ちできないNHKの反日番組 

    今年は横浜開港から百五十年に当たることから、NHKは「これからの日本を探る」として関連番組を放送する「プロジェクトJAPAN」なる三年シリーズを開始。四月四日には「プロローグ」として「戦争と平和の150年」と題した番組を放送したが、これを見て「憲法九条の宣伝に過ぎない」と酷評したのは在日台湾人でメールマガジン「台湾の声」編集長の林建良氏。

    医師でもある同氏は「かつての日本の防衛戦争を否定する内容。血液に白血球はいらないと言っているようなもの」と笑った。そして「国民の受信料で反日宣伝を行うのだから、左翼より悪質。これでは保守派も太刀打ちできない」とも。

    そして翌五日、「NHKスペシャル」の「シリーズ・JAPANデビュー」の第一回を放映。百五十年前に世界にデビューした日本が第一次大戦の戦勝国となって一等国入りしながら、なぜ敗戦への坂を転げ落ちて言ったかを探るのがこのシリーズなのだそうだが、それがとんでもない反日内容となることを十分なまでに予感させるものだった。

    ■台湾を「アジア支配の原点」と強調する意図

    ■「漢民族弾圧」で語る台湾統治史

    日本は初めての殖民地である台湾の統治成果を世界に示そうと力を注ぎ、「漢民族の伝統と誇り」を持つ台湾人の武力抵抗を弾圧し、第一次大戦後は同化政策を進めて民族自決主義の影響による台湾人の自治要求運動を弾圧し、支那事変以降は漢民族である台湾人の日本人化を強行するため皇民化運動を行い、台湾の南進基地化の下で約二十一万人もの台湾人を軍に入隊させ、中国、南方戦線へ送ったが、敗戦を迎えたと言うのが番組のあらすじだ。

    この「あらすじ」自体には歴史歪曲があるとは言えない。「漢民族弾圧」と言う一つの歴史の側面を語る上で、このようなものを組み立てるのも可能ではあるが、その組み立ての動機については、番組の最後のくだりに登場するフランスの歴史学者、パスカル・ブランシャール氏の次の言葉でおおよそを知ることができる。

    ———私たちは他社との歴史共有の道を探し当てなくてはならない。

    ———私たちはもはや、正しく優れているのは自分で、間違い、劣っているのは相手と考えることはできない。

    ———世界に目を向け、なぜ世界の人々は日本をこう見るのかを理解しなければならない。

    台湾統治当時の日本人にすら想像も及ばないフランスの殖民地における人種差別政策の苛烈さはともかく、NHKはこれらのセリフに正当性を与えるため、当時を知る台湾の老世代に、次から次へと日本統治への恨みを、日本語で語らせて行くのだ。


    2、台湾人の証言を操作し反日宣伝—ご都合主義の番組制作

    ■当時の不満を吐き出させて歴史の傍証に

    例えば、

    ———学校、職場で偏見、差別に苦しめられた。

    ———(日本時代は)嫌だな!馬鹿にしよって。

    ———役所では昇進の条件となるから、仕方なしに改姓名(日本名への改称)した。昔の姓を残したかった。

    ———酒を飲むのも日本酒。喋るのも日本語。こういう人間に誰が育てた。日本だ。二十年間の教育は恐ろしい。

    日本時代を懐かしがっているとされるあの世代の台湾人のこれらの言葉に、耳を疑う日本人は多かったかもしれないが、実際にあの世代には、相手を不愉快にさせまいと、日本人の前ではあまり語らない感情があるのだ。

    それは当時台湾にいた日本人から受けた差別への恨みだ。同じ日本国民でありながら、感情面でも制度面でも加えられた差別への悔しさである。NHKはカメラの前で、彼らにそれを思う存分話させた、あるいは吐き出させた。そしてそれを日本の「漢民族弾圧史」の揺るぎなき傍証に仕立て上げた。

    それを一つの歴史検証の方法だとしても、公正さが求められる番組の手法としてはどうだろうか。

    上の掲げた発言は、日本統治時代の台北一中の卒業生たちのものだが、彼らをよく知るある日本人が「おかしい」と直感した。たとえ知り合いではなくても、台湾のあの世代と交流があれば、「何かがおかしい」と感じるのが自然だろう。

    そこでその人が電話で本人たちに確認したところ、「日本統治より国民党統治の方がひどかったと話したが、その部分は番組で削除された」ことなどがわかって来た。

    ■反日番組の障害だった「親日」クリアに成功

    番組は最後に「親日的とも言われる台湾で、今も残る日本統治の深い傷。それは今後アジアの中で生きて行く日本が分かち合わなければならない現実。過去と向き合う中から見えて来る未来。百五十年前に世界にデビューしたジャパンの歴史が、私たち一人ひとりの明日を問いかけている」とのアナウンスで終わる。

    私の長年の観察から言えば、これまで日本の反日歴史ドキュメント番組にとって「親日的とも言われる台湾」の人々の歴史証言は明らかに厄介な存在だったが、NHKはシリーズ第一回でこの点をうまくクリアし、「幸先より」と喜んではいないだろうか。

    もしすべての台湾人が日本の統治に感謝、感激し、「日本の完全無欠の偉大な歴史」を宣伝する政治的番組を制作するとしたら、自ずとNHKと同様の手口を採用することになるだろう。「あのころはよかった」との証言をいくつも引き出し、それを集成して「日本統治の栄光」とアナウンスすれば一丁上がりである。

    ■日本は台湾原住民を「動物」扱いしたか

    番組では「五十年の統治を象徴する」として取り上げられるのが、一枚の台湾原住民、パイワン族の集合写真だ。アナウンスはこれを「人間動物園」の写真だと断定する。

    約百年前にロンドンで日本の産業や文化を紹介する日英博覧会が開催され、約八百万人が訪れたが、そこで特に人気を集めたのが、パイワン族の家作りや暮らしぶりを見せるコーナーだった。そこではパイワン族の人々が客の前で「戦いの踊り」「戦闘の真似事」などを披露した。そしてその写真は、そのように「見世物」になった人々の写真なのだと言う。

    英国では当時、インドなど殖民地の原住民の「見世物」を「人間動物園」と呼んだそうだ(その言葉が見られる英国の昔の文書が映し出される)。それは原住民を文明化するのを使命とされていた時代のもので、当時は「いいこと」。だから日本もそれを真似、パイワン族の「人間動物園」を展示したと断じるのである。

    そしてこの写真は殖民地政策の政策を示して一等国と認められようとした日本にとっては「統治の象徴」と言う論法だが、それではあたかも日本人もまた、原住民を「動物」扱いしたと受け取られかねない。

    ■「日本統治の深い傷」を拵えるNHK

    英国が殖民地の原住民をどれほど「動物」扱いにしたかは知らないが、少なくとも日本人は台湾で原住民を帰順させた後、近代文明を知らない原住民一人ひとりを「天皇の赤子」と位置付け、人種差別意識から来る「蕃人」との蔑称を改めて「高砂族」と呼び、警察官(教師、産業指導を兼務)が並々ならない使命感を抱き、命がけで山岳などの部落に赴き、根気よく手取り合いとり教育を施し、国民意識、産業、衛生など近代観念を教え、その結果、原住民の出生率は上がり、劣悪な生活環境のなかで人口の増加を見ると言う成果を挙げたのだ。

    もちろんその成果の根底には日本人警察官と原住民たちとの間の「人と人の心の交流」があった。そしてそのためにこそ原住民は、日本人への強い信頼感、親近感を戦後に至るまで抱いて来たのである。

    ところが番組は渡英したパイワン族の遺族たちに写真を見せ、沈痛な面持ちで「悲しい」と言わせる。遺族たちはその渡英の話を聞かされていないとのことだから、たぶんNHKが「動物として扱われた」と聞かされ、「悲しい」と答えたのだろう。

    このように遺族を悲しませることで、NHKは「日本統治の深い傷」をもう一つ追加した。


    3、台湾の元日本軍人が恨んでいるのは戦後日本—なぜ正確に扱わない

    ■笑顔の教育勅語の暗誦も「深い傷」

    番組は皇民化政策の「行き着いた先」として「台湾人が日本軍の兵士として国のために命を捧げた」ことを挙げる。

    支那事変、大東亜戦争時代の皇民化運動とは、近代国家ではよく見られた近代国民化運動の台湾版。それまでの同化政策を戦時の需要から急進的に展開したものだが、その結果、台湾人が国民の資質ありと認められるに至り、国民として従軍が認められたのだから、「行き着く先」と評するのは間違いではない。

    もっとも番組はそれを「日本統治の深い傷」とする見地である。ここでも「傷」を負った元日本軍人の台湾人たちを訪ねて日本への不満、恨みを語らようと試みる。

    場所はどこかの公園らしい。元軍人を含むおじいさん、おばあさんたちがカラオケで日本の軍歌を楽しそうに歌っているから公園に違いない。台湾の公園ではこうした光景はよく見られるのだ。

    そこでは一人の元軍人が日本語で昔の話を滔々と話す中、我々は教育勅語がわかる(暗誦できる)と言った。すると取材しているスタッフの「エー!」と言う驚きの声が入る。「とんでもないことだ」との怒りの声にも聞こえたし、「それは格好の反日題材だ」との喜びの声にも聞こえた。

    暗誦を始めたのは元軍人の横にいるおじさんだった。とても嬉しそうな笑顔である。

    もちろん、だからと言って、この人が日本を恨んでいない証拠だとは言えない。ただ台湾へよく出かける人ならわかるはずだ。日本人を前に教育勅語を暗誦し、日本との心の近さ、親しみを示す光景は、台湾ではよく見られることである。「何だ、お前は勅語を知らないのか。それでも日本人かい」と言ってからかわれ、萎縮したことのある若者も少なくないはずだ。

    だが番組ではこの暗誦も、悪意の響きを持つ「エー!」の対象となるのである。

    ちなみに台湾人は戦後、東京裁判史観にも唯物史観にも染まらなかったから、その多くは教育勅語を軍国主義に結びつけ、批判することはない。だから笑顔で日本人に誇らしげに、そして懐かしげに読んで聞かすのだろうと、私はいつも思っている。だから「エー!」は馬鹿さ加減をさらけ出すだけでなく、台湾人には無神経で失礼である。

    ■国民党の二・二八虐殺も日本の責任か

    そして番組はこうアナウンスする。

    「戦後台湾を統治したのは、蒋介石率いる中国国民党。日本兵として中国と戦った台湾人は、かつての敵の下で暮らすことになった。台湾人は日本人の奴隷となったと非難され、国民党と衝突。多くの人々が処刑されて行く」。

    「国民党と衝突」と言うのだから四七年の二・二八事件のことだろう。この国民党による台湾人虐殺事件の発端は、苛酷、不条理な殖民地支配への台湾人の不満だが、その不満の根底に、前近代的な政治思想を持つ国民党によって、台湾人の近代的思想が「日本の奴隷化教育が齎した毒」と批判され、蔑まれ、差別されるとの状況があったのは確かである。

    しかしこのアナウンスをよく聞けば、「日本軍が台湾人を戦争に駆り出したため、同じ漢民族であるはずの国民党に理解されず、そのため衝突が起こり、処刑された」との日本批判に思えないか。

    もしそうだとすれば、国民党の中国人たちの反日歴史観に、番組は限りなく近づくことになる。

    ■恨みは台湾人を「みなしご」にした戦後日本

    このようなアナウンスがなされた後、再び元軍人が日本への恨みを語りだす。しかしそれは果たして台湾統治を行った日本人に対するものだろうか。

    ———(台湾人は)みなしごになって捨てられた見たいだ。人をバカにしているんだ、日本は。(周りの人々を見ながら)間違っているか?本当のことだろう?(周りは台湾語で「そうだ」と頷く)

    ———(あなたたちが日本へ)帰ったら、若い連中にはわからないことだが、八十歳以上の人に宣伝してください。台湾の当時の若い青年がいかに日本の民と協力して尽くしたかを。

    これらは「日本統治」にと言うより、明らかに戦後の日本に向けた言葉である。台湾人を勝手に国民党に渡した戦後日本人に対してか、戦後補償もろくにしないで来た戦後日本人に対してか・・・。いずれにせよ、日本国民として戦った自分たちを他所に放り投げて「みなしご」にし、その存在に見向きもしないで来た戦後日本への恨みである。


    4、親中・反日—NHKは台湾人の思いに興味はない

    ■NHKは台湾に対して何をしてきた

    NHKもまた、その悪しき戦後日本人の最たるものではないのか。これまで台湾に脅威を与える中国の軍事政策に一度でも反対する番組を、国民に対して放映したことがあるだろうか。

    数年前、NHKのニュース番組は、台湾をも含む中国地図を画面に映し出した。在日台湾人が抗議しても聞き入れられず、そのため台湾の最大手紙である自由時報はテレビ番組欄にあるNHKアジア向け放送の部分を長期間にわたって空欄にし、抗議の意を示したが、台湾には傲慢なNHKには、痛くも痒くもなかったことだろう。

    あの元軍人は何を日本に訴えようとしたのか。

    ———心を察してもらいたい。そうでしょう?命をかけて国に尽くしたんだよ。それなのに・・・

    何かを言おうとしたようにも見えたが、残念ながら「それなのに」で話は切られてしまった。

    ■NHKにとって重要なのは反日宣伝のみ

    番組は、もっとこの元軍人に日本への積年の思いを話させ、それを正確に伝えるべきだったが、台湾人の思いなどより、重要なのは反日宣伝なのだろう。

    NHKは「過去と向き合う中から見えて来る未来」と強調する以上、まずは自身が「台湾に目を向け、なぜ台湾の人々は日本をこう見るのかを理解」しなければならない。

    台湾人が日本国民にさせられた歴史を批判するだけでなく、日本国民にさせられた人々にしっかりと目を向け、その人々とその子孫の国である台湾の行く末を、我がことのように憂い、さらにはその人々への恩返しとして、中国の脅威に晒されるその国の存立を応援するのが「今後アジアの中で生きて行く日本」の使命であると国民に訴えなければならないはずだが、NHKは明らかに、その中国の日本弱体化を目的とした反日歴史宣伝と歩調を合わせ、それとの「歴史共有の道を探し当てよう」としているのである。

    シリーズが進むごとに明らかになるであろうNHKの中国優先の姿勢。これが夢見る「今後のアジア」には、もしや「漢民族」同士の「中国統一」も含まれているだろうか。今回の番組が、中国が恐れるところの日台の良好な関係を支える台湾の親日感情、親日イメージを否定して見せたことも気に掛かる。


    『台湾の声』  http://www.emaga.com/info/3407.html
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