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  • 2014年9月25日木曜日

    「台湾の声」【楠木正成の統率力第 16 回】敵の「返り忠」工作を逆手に取る         

    【楠木正成の統率力第16回】 敵の「返り忠」工作を逆手に取る
             

    家村 和幸


    ▽ ごあいさつ

     こんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。

    前回に引き続き、敵の返り忠(裏切りを
    促す謀略)への対応策についての楠木正成と
    足利高氏・赤松円心との問答をご紹介いたします。

     今回は、楠木正成が千早城外の
    賀名生(あなう=現在の奈良県五條市にある
    丹生川下流沿いの谷)の奥にある観心寺に
    極秘のうちに隠し置いた別働隊(注)が活躍します。

     それでは、本題に入りましょう。

     (注)詳しくは、第13回掲載文「千早における
    楠木の諜報活動」をご参照下さい。
    http://okigunnji.com/nankoleader/category2/entry16.html


    【第16回】 敵の「返り忠」工作を逆手に取る

     (「太平記秘伝理尽鈔巻第七 千剣破(ちはや)城軍の事」より)


    ▽ 敵将・金沢右馬助の謀を封じる

     楠木正成の郎従である早瀬吉太に対する
    足利高氏の「返り忠」工作が失敗した話の
    ついでに足利尊氏が言った。

     「さて、その後の夜討ちこそ、見事に謀られてしまいましたな。」

     それを聞いた赤松円心も、「ほう、是非とも
    お聞かせ願いたいものです」と言ったので、
    正成は語り始めた。

     「長くなりますが、お話いたしましょう。

     正成の知る限りでは、千早城を攻めていた
    敵将の金沢右馬助殿は、謀を廻らして、ややも
    すれば城に様々の困難なことをもたらしてこられました。
    そこで、こうした謀の手立て(作戦)を止めさせよう
    として、観心寺の別働隊長・和田七郎正氏のもとに
    軍使を遣わして、このことを相談しました。

     その結果、弟の七郎は別働隊の木沢平次・
    日井(ひのい)小藤太という二人の兵に、『吉野(大塔宮方)
    の落人であるが、今は商売をする者』との触れ込み
    で商人になりすまし、敵陣のあちらこちらに往行させ、
    さらには金沢殿の陣の近くに住むように、と命じました。

     数日後に金沢殿の家の子、岩城右近助という者
    に味方になるように誘われた木沢と日井は、金沢殿
    に面談して申しました。

     『城の有力な将の一人である恩地左近太郎の
    下へ、密かに参じて寝返りの勧めを告げましょう。』

     これに対して、金沢殿が『いかにして城へ入る
    ことができるか』と問うたので、両人は答えました。

     『必ず入れる方法がございます。大塔宮の
    令旨(命令書)を一通作って賜るようにしましょう。
    これを持って参るのです。そうして、正成に参会して、
    楠木には宮の仰せを談じ、恩地殿にこの寝返りの
    勧めを申しましょう』

     こうして金沢に信頼された両人は、城に来ることになりました。


    ▽ 恩地、「返り忠」を演じる

     千早城内に入った両人は恩地の役所には
    行かず、直ぐに正成のもとに来て、先ずは懐かしさ
    に涙を流して睦まじげでありました。

     そして、この謀について語っていると、正成は
    恩地を呼んでこのことを密談してから、木沢・日井
    の両人を帰しました。その際、両人が恩地の言葉
    として、金沢殿に対し次のように伝えることにいたしました。

     『仰せのごとく千早城は、日本国中に味方の
    無い城であるからには、やがては落城すること
    疑いなしと思いながらも、ただ今まで主と頼みに
    してきた正成を捨てることができなかっただけ
    でございます。それ故、この度の仰せは誠に
    ありがたいものでございます。

     これで楠木の跡継ぎが絶えるようなことに
    なれば、恩地家の数代にわたる義理であれば
    こそ、先祖代々に対する義理も果たせぬこと。
    なんとしても金沢殿の仰せに随わねばなりません。

     もしも、国中の武家を敵に回した無謀な正成と
    いう男一人が不義の者だといたしますれば、彼が
    亡びて後も、その子孫が楠木の家を御立てて
    いこうというのであれば、家の為は末代、正成に
    対しては一代の恩義にございますれば、家の
    存続を重んじて、何としても御心遣いに従うこと
    と致しましょう。』

     そして、この旨を恩地に自筆で書かせました。
    これを受け取った木沢・日井の両人は、正成の
    令旨に対する受取状も身に帯びて城を出たのです。


    ▽ 敵の要求に応じて長谷平九郎を人質に差し出す

     恩地からの書状を受けた幕府方の諸大将は、
    密かに会議をして決定しました。

     『正成一人さえ討ち取ることができれば、御家の
    事は恩地が要求するとおりにしてやろう。』

     これに対して(木沢・日井)両人が、

     『神や仏に御誓いの文言が無いのであれば、
    恩地殿は、決して誠意があるとは思われません。
    約束を取りに参りましょう』

     と言ったので、諸大将は再び密談して、誓いの詞
    について書き加えました。この恩地への誓文を身に
    帯び、また宮の令旨を作って城中に入ってきました。

     恩地は届けられた書状を開かずに、両人を連れて
    正成とともにこれを見ると、

     『六箇条の希望条件の内、人質の事(恩地側
    から人質を出さないという条件)は、いかにも
    受け容れがたいことである』

     とありました。敵も以前の早瀬に対する「返り忠」
    工作の失敗に懲りて、

     『人質が無いならば、恩地殿を城内に入れることはできない』

     と書いてある。そこで正成は、力量が人に勝れて
    早業にも賢い長谷平九郎という者を恩地の弟と
    称して差し出すことにいたしました。この男の力量は、
    普通の五人十人とは比較にもならないほど勝れて
    おりましたが、これで敵陣に入るのは木沢・日井の
    両人に城兵である長谷を併せて3人となりました。

     長谷は何の異義も唱えないで、『しかと承りました。
    御意のままに随いましょう』と云うので、合図など
    その後の様々なことを打ち合わせて、長谷を遣わしました。


    ▽ 恩地との約束により金沢は少数精鋭で襲撃

     長谷を人質として手に入れた金沢は、宗徒の一族
    8人、屈強の侍32人を忍ばせて、恩地の役所に
    遣わせました。このような小勢であったのは、

     『大勢ではかえって見破られる。衆を当てにせず、
    少数精鋭であたれば、恩地が正成に腹を切らせましょう』

     との金沢と恩地との約束があったからです。

     それのみならず、『当座の引出物である』として、
    金剣三振り、黄金三百両、白銀千両が恩地に
    届けられました。しかし、恩地は

     『これらは、この間の苦労をなされた郎従の方々にお与えください』

     と云って受け取りませんでした。そして、城のきり岸
    に石弓を多数張り、大木を崩し懸けようとして
    待ち構えていたのです。


    ▽ 金沢の襲撃隊と幕府軍をだまし討ち

     そうして、金沢の襲撃勢40人に『恩地勢が楠木の
    役所を襲撃するので、すぐ後ろの櫓を占領していただきたい』
    と告げ、案内者二人を添え、合言葉を定めて連れて行きました。

     定めていた時刻になると、表からは恩地の兵が
    切り入るまねをし始めました。そこで、40人の兵が
    恩地の兵に劣るなとばかりに櫓に上ろうとする所を、
    楠木勢が上から散々に射伏せ、切り伏せました。
    そこへ『恩地の勢が通るぞ』と(楠木軍との同士討ち
    をさけるために)叫びながら駆けつけ、金沢の襲撃隊
    を前後から討ち取ったので、40人の兵は一人残らず、
    一箇所で戦死しました。

     その後、城内に合図の鐘を鳴らし、鬨(とき)の声を発しました。

     この鐘は、幕府側には「楠木を討ち取った(襲撃成功)」
    という偽りの合図であると同時に、長谷には「脱出せよ」
    という合図でした。そうとは知らない幕府軍の寄手は、
    これを聞いて数万が雲霞の如く城へ攻め上って来ました。
    これに紛れて、人質である長谷の警護に付き添っていた
    12人の侍が、城へ攻め寄せる軍勢に気を取られている
    間に、かねて用意していた楠木の兵8人が労せずに
    入り込み、12人の侍をひたひたと切り回ったのです。

     『何事だ』という間もなく、長谷もその場で立ち上がり、
    太刀を手に取って切り回ると、6人を切り伏せ、その他
    の多くを負傷させて、木沢・日井の両人・楠木の兵8人・
    長谷、合わせて11人がうち連れて姿をくらましたのです。

     このことも知らず、寄手が我先にと攻め上りながら、
    切り岸の下まで到着したところを、大木・大石を次々に
    投げかけ、散々に射ったので、将棋倒しのように崩れて、
    四方の谷は死人で埋もれました。これより後、敵は
    千早城への返り忠の謀略を一切止めてしまったのです。」

     正成がこのように語ったのを聞いた円心は、「実に
    あっぱれな謀でありますな・・・」と深く感心したのであった。


    (「敵の「返り忠」工作を逆手に取る」終り)



    (以下次号)


    (いえむら・かずゆき)

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    ● 著者略歴

    家村和幸 (いえむら かずゆき)
    1961年神奈川県生まれ。元陸上自衛官(二等陸佐)。
    昭和36年神奈川県生まれ。聖光学院高等学校卒業後、
    昭和55年、二等陸士で入隊、第10普通科連隊にて陸士長
    まで小銃手として奉職。昭和57年、防衛大学校に入学、
    国際関係論を専攻。卒業後は第72戦車連隊にて戦車小隊長、
    情報幹部、運用訓練幹部を拝命。
    その後、指揮幕僚課程、中部方面総監部兵站幕僚、
    戦車中隊長、陸上幕僚監部留学担当幕僚、第6偵察隊長、
    幹部学校選抜試験班長、同校戦術教官、研究本部教育
    訓練担当研究員を歴任し、平成22年10月退官。

    現在、日本兵法研究会会長。

    http://heiho-ken.sakura.ne.jp/


    著書に

    『真実の日本戦史』
    ⇒ http://tinyurl.com/3mlvdje

    『名将に学ぶ 世界の戦術』
    ⇒ http://tinyurl.com/3fvjmab

    『真実の「日本戦史」戦国武将編』
    ⇒ http://tinyurl.com/27nvd65

    『闘戦経(とうせんきょう)─武士道精神の原点を読み解く─』
    ⇒ http://tinyurl.com/6s4cgvv

    『兵法の天才 楠木正成を読む (河陽兵庫之記・現代語訳) 』
    ⇒ http://okigunnji.com/1tan/lc/iemurananko.html

    がある。


    【過去の連載】いまでもメルマガで読めます。

    ●本土決戦準備の真実ー日本陸軍はなぜ水際撃滅に帰結したのか(全25回)
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    ●戦う日本人の兵法 闘戦経(全12回)
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    【第20回 軍事評論家・佐藤守の国防講座】

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     場所 靖国会館 2階 偕行の間

     参加費 一般 1,000円  会員 500円  高校生以下 無料


    【第18回 家村中佐の兵法講座 −楠流兵法と武士道精神−】

     演題 『太平記秘伝理尽鈔』を読む(その7:湊川の戦・前段)

     日時 平成26年10月12日(日)13時00分〜15時30分(開場12時30分)

     場所 靖国会館 2階 田安の間

     参加費 一般 1,000円  会員 500円  高校生以下 無料


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